近年の私立中学は入試において「読解力」を重視しています。
一般に「頭の良さ」と言われる能力を測る指標はいくつかありますが、読解力はその中の一つには確実に入ってきます。
小学校の科目において、読解力を測るのはどれでしょうか?
え、当然国語では? と思われた方。
当然国語もそうなのですが、算数という科目でも読解力をテストしているのではないか。
今回はそんな内容の記事です。
目次
国語の題材となる文章は全て「売るために書かれた文章」
国語という科目には、物語文、説明文、論説文、随筆文、鑑賞文など……
様々な種類の文章が出題されますが、そのすべてに共通することがあります。
基本的にどれも「書籍の一部」だという事です。
もっと言えば「売るために書かれた文章」です。
小説でも論説文でも、基本的には誰かに買って読んでもらうための文章です。
つまり、面白く・分かりやすく書くものです。
だからこそ成立する読解のテクニックがあります。
例えば論説文であれば「何度も繰り返し書かれている内容は重要」とはよく指導されるでしょう。
著者が強い熱意をもって伝えたい内容だからこそ、何回も何回も繰り返して説明します。
著者の心理を勝手に代弁すると、こんな具合です。
文章だけで真意を伝えるのは本当に難しいです。(ブログを書いていても実感します)
だからこそ、同じことを表現を変えて何度も繰り返すし、難しい所では具体例を出して説明します。
こうした読解の技術は、「売るために書かれた文章」で通用するものです。
つまり「誰かに伝わるように、分かりやすくなるようにとの願いを込めて書かれた文章」で使える技です。
世の中の大半の文章は「売るために書かれた文章」ですが、中にはそうではない文章もあります。
「売るために書かれたわけではない文章」を読むテストは算数
世間にあふれる「売るために書かれたわけではない文章」とは、例えば契約書、法律、約款、電化製品の説明書、役所のHPなど……
これらは、小説や評論などの「売るために書かれた文章」とは異なる目的をもって書かれています。
「正しければそれでいい」です。
分かりやすくある必要はありません。内容が正確で一意に定まり、後で裁判になった時に勝てる内容であればそれで良いのです。
分かりにくくて誤読した人がいたとしても「それは読み間違えた人が悪いよね。」というスタンスです。
法律や契約書は「内容が正確に書かれていれば、読めば誰でも理解出来るよね」という神話のもとに成り立っている文化です。
実際には「こんな契約をした覚えはないぞ!」「いえいえ、しかし契約書にこう書いてありますので」「そんな意味だとは思わなかった!」
というトラブルは星の数よりも多く起きています。
「売るために書かれたわけではない文章」を正確に読み下す能力を、算数国語理科社会の4教科のどの科目の中でテストするのが最も自然か。
私は算数だと思っています。
算数の文章題は「売るためではない文章」つまり「事実を簡潔かつ正確に書いた文章」を読むためのトレーニングとして最適です。
例えば「兄と弟の所持金の比は2:3です。兄弟の所持金の合計は500円です。兄の所持金は何円ですか?」
という問題に300円と書いて誤答したような経験があるお子様は多いのではないでしょうか?
今回は兄が2で弟が3ですので、答えは200円です。
これは誤読の可能性が高い文章です。(いわゆる”ひっかけ問題”)
通常は兄の方が金額が多いことが多いので、つい300円と答えたくなります。
これが、例えば売るための説明文・論説文であれば
さて、兄弟の所持金の合計が500円の時、兄の所持金はいくらでしょうか?
繰り返すと、聞いているのは兄の所持金だ。つまり2:3の2の方を求めよということだ。何円でしょうか?」
かなり誇張して書きましたが、誤読の可能性がある箇所や理解が難しそうな箇所では、具体例や言い換えを使って何度も説明します。
一方で算数の場合は違います。算数の場合は
というようなことを問題作成者は思っています。多分。きっと。おそらく。
「国語が出来ないから算数の文章が読めない」はウソ。国語とは異なる能力。
文章題が苦手、読み間違いを多くしてしまうという相談を受けた算数講師が「あーそれは国語の問題ですねー」と言うのは違うと思っています。
国語で求められる文章力と算数で求められる文章力は異なります。
短文を正確に読むという行為は小学生にとっては馴染み薄いものです。
この能力を鍛えることは算数講師の守備範囲です。
算数のような「比較的短くて、事実を簡潔に書き記すことを目的とした文章」を正確に読むための練習方法やテクニックはいくつかあります。
今後そうした文章問題を読むためには? のようなテーマの記事も増やしていきたいと思います。
今回はこの辺りで。良かったら参考にしてください!