アドバイスや情報発信をする時には、その内容が正しいことと同時に、理由の説明などをして相手に信じてもらうことが大切だ。ということを書いていきます。
さて突然ですが、ちょっとしたストーリーを作ってみました。
あなたは東京にある高層ビルであるAヒルズに向かって歩いていました。まだ徒歩15分くらいの距離ですが、高層ビルなので目的地は遠くに見えています。初めて行く場所なので道は分かりませんが、ビルの方角に向かって歩いていけばいずれたどり着けるだろうと思い、歩いています。
そんな時通行人が話しかけてきました。
「Aヒルズに行くんならそっちの道じゃねぇ。こっちに行け」
通行人はガラの悪いやくざ風の男。ビルが見えている方向とは違う方の道を指さしました。
そしてもう一人別の通行人も話しかけてきました。
「何を言っているんですか。Aヒルズはあちらの方角ですよ。ビルに向かって歩くのが近道です」
誠実そうな青年はビルに向かって伸びている道を指さしました。
「何言ってんでぃ。Aヒルズはこっちに決まってんだろうがバカ」
「あなたこそいい加減なことを言わないでください。そちらは全然方角が違うじゃないですか」
あなたは悩んだ末、誠実そうな青年が指さした方の道に進みました。
しかししばらく行くと川があって先には進めず、橋までかなり迂回しないといけなくなりました。
思い返すと、やくざ風の男が指さした道の先は橋に続いており、結果的にAヒルズへの最短距離になっていました。
さて、この話で最も良くない行動をしてしまったのは誰でしょうか。
ウソの道を教えた青年? 本当のことを言っている男を信じなかった主人公?
さて、受験勉強と塾業界にも似たようなことがあります。
一見すると誠実そうでもっともらしいことを言っているのですが、よく見るとトンチンカンだという方はいます。
では間違ったことを発信する講師が悪いのか、又はそれを信じてしまう主人公が悪いのかというと、算田はそうは思いません。
むしろ、正しい道を知っているのにそれを伝えられなかった者が最も責任が重いと思っています。
正しい道を知っているのに、その知識を有効に使えなかった。
「この先に川があるから、遠回りに見えるけどこっちの道の方が橋が近くて結果的に近道だよ」と理由を説明できればきっと信じてもらえたのに、それを怠ってしまったのは良くなかったと思います。
(家庭教師の業界には、良いことを言っているのに伝え方が独善的で保護者から受け入れられないというタイプの先生がいます。実力はあるのに……惜しいです)
せっかく良いことを言っていてもそれが信じてもらえなければ意味がありません。
こうしたほうが良いというアドバイスをするならば必ず理由と共に。もしご家庭が疑問に思うことがあったのなら、気軽に理由を聞けるような関係づくりを日ごろから。
講師とご家庭のコミュニケーションが円滑だと、講師・生徒・ご家庭が同じ方向を向いて走ることが出来ます。
細かいことのようですが、受験ではこうしたコミュニケーションも大切だと考えています。